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星窪嶽(フシクブダキ) 高江洲トヨ子先生の死生観

沖縄の死生観について星窪嶽(フシクブダキ)高江洲トヨ子先生にお話を伺ってきました
星窪嶽(フシクブダキ)高江洲トヨ子先生

高江洲トヨ子先生は、古くからあったご神事を今に伝える神人(カミンチュ)であり根の神(ニイガン)であります。

星窪嶽を起点に自然の神様(神加那志)のご指示のもと、柱(ジク)をポイントとして置いて世界を繋ぐということをなさっていて、神柱(カミジク)、世柱(ユウジク)、国世(クニジク)を立てられました。神柱は神様の次元、世柱は四季、自然、世界の次元、国柱は国や地域等ローカルな次元のことです。

 

地球の創世について、人の存在も無い時代、神の意志で地球が作られました。
火の玉がぶつかり原始地球が生まれ、その時働いていたのが御先神龍神です。

御先神龍神はのたうち回って地球を作り、それが落ち着いて冷えてくると火は中心に、重い物は下に行き、その時働いていた神様は土や石となり、深神(スクシン)になりました。また、中心には火があるから暖まり、海水がある事により地球は調和され人が住めるようになりました。

月と太陽が生まれてそこに、光神加那志(天照大神)の、言葉では表現できない目に見えない光が射す事により、生命が生まれました。
世の中が落ち着いて来て世界中に33御嶽を作り、33御嶽が派生して各宗教が生まれました。その世の中を動かしているコスモパワーが星窪の神柱にあります。

 

“私達人間は身体も心も全て己のものと考えている。
しかし、身体は神様からの借用であり、心だけは人間が勝手に使う事ができるように与えられたのである。

ただし、神様は人間の誕生と同時に心に歯止めをかけた。

この神様が歳破・暗剣殺・五黄殺(破・暗剣・五黄)の三様で、人間の心に宿っている。
心使いを間違った時に三様の神様から罰を受ける事になる。

それが体を壊す、つまり病気となる。従って心の有り様で健康にもなり病気にもなるのである。
私たちは、神様からいただいた体をあの世への旅立ちまで、大切に使い、五体満足で、神様へお返しする。“
という考えが根底にあり、自然に感謝して、原因を人間の心に求めること。

 

正しい人間の心を持つことが大事であり、人ごとが出来る人には良い事が起こります。
私たち人間は家族が健康で仲良く暮らすことが一番の幸せであり、ウートート−(貴方のおっしゃる通りに全て受け入れます。)という沖縄の言葉にも現れているように、謙虚さ、己を捨てる心が大事とされます。
生きるということは神様との約束を果たすためにこの世で修行することです。
その修行とは、どう生きたかが問題となります。

切磋琢磨して、泣いて笑って苦しんで、毎日を精一杯生き、神様に胸を張って言えるような生き方をすることが大事です。
修行が足りなければ何度も新しい魂を入れ込まれこの世に生まれてきます。

修行が最終であれば再生する必要は無く、神様の元で働くようになります。

 

沖縄では地球そのものである火の神(ヒヌカン)が最も大事な神様で、この世とあの世の戸籍簿であり、人の生死や結婚など、どのような時にも最初にご報告する神様です。

沖縄のしきたりとして、男性が結婚して分家する場合は実家の火の神を持たせ、女性は実家の火の神の籍を外し婚家の火の神に籍を入れてもらいます。
亡くなった場合、神様にはランクがあり、レベルがあるので、亡くなった人の魂は上に上がって行きます。

 

病院や自宅で亡くなった場合は、そこにある神仏にお参りできるので特に問題はありませんが、例えば事故死の場合、死者は事故現場にいるのではなく、その辺りを管轄している神社や御嶽の神様が一時保護します。

その時点では、保護している神様にお礼参りをして、その人を本来守っている神様の元へ返すことが出来ますが、時間が経つと一時保護されている所にはおらず、徐々に上がって移動しているので探すのが難しくなります。

また、そのままにしていた場合は因縁として残り、祖先に合図をして、残された家族に同じような事故を起こして知らせます。

そして事故現場も穢れが残ります。

 

人が病気で余命宣告や亡くなりそうになった時でも、決して“死”とか“亡くなる”という言葉を口に出してはいけません。

あくまでも生きる事が大事であり、助かるかもしれないので、亡くなるという考えは家族であっても一切持ちません。

早く元気を取り戻す事を念じ希望を持たせるのです。

それでも亡くなった時には、「死ぬのではなく生まれ変わる、または若返るためにあの世に行った」と家族や周りの人には話します。
ただし、悪いことをした人は生まれ変わりにくく、時間がかかります。

 

沖縄のお墓は本土のような納骨堂という意味合いだけではなく、一門(子孫)の繁栄を願って建てられるものです。

お墓を建てた時にはお祝いをします。真新しいお墓の中で規定の曲を間違えないように三線を弾かなければいけません。

そして松竹梅の扇子を広げ、お餅や封筒なども赤づくしで、祝い事に則ったお料理を作り盛大にお祝をします。

本土ではあまり見られませんが豚肉なども出されます。また、その後もお墓のお祝いが続きます。

お墓の焼香(スーコー)は、1回忌から33回忌までを繰り返し行い終わりはありません。