1930 年頃に祖母が他界した時には家族や親戚が見守る中、家で息を引き取りました。
この時は末期の水を口に含ませ、皆でお別れをしました。 私も子供心に厳粛な面持ちで祖母の唇を濡らした記憶があります。
1988 年に母が、1993 年に父が他界した時には、2人とも病院でなくなりました。
それでも家族みんなで病室に詰めて見守る中、息を引き取りました。
気仙沼では先に火葬してから家でお通夜があり、お焼香に来てくれた人に通夜振る舞いをします。
また、お線香を絶やさないように交代で寝ずの番をします。
お葬式では位牌や供物をもって行列を作り野辺送りをします。
お寺の境内で行われ、白いさらし木綿の衣装を羽織り、一反のさらしで天冠または宝冠といわれる三角形の布、頭巾、長い紐を作り、男性は額に三角形の布を、女性は頭巾をかぶり、いわゆる死に装束の格好をします。
また、骨壺を持った親族を筆頭に位牌や供物などを持ち行列しますが、その際に行列する人がさらしで作った長い紐(縁の綱)を皆で持ち、お寺の境内を 3 回廻ります。
白い布を身につけるのは、故人と同じ格好(死に装束)をすることで、「旅立ちまでは共に見送る」という思いと、その先は「故人一人で旅立ってください」という願いが込められているそうです。
もう少し古い時代の農家が多い地域では、この野辺送りを自宅からお寺までの間、行列を作って歩いていたそうです。
初七日の法要の後、女性の労をねぎらう忌中払いが行われます。
その時に「口寄せ」と呼ばれる儀式をします。
青森のイタコは有名ですが、気仙沼では「オガミサマ」とよばれ、死者の霊を体に乗り移らせ、死者と生者の対話がなされます。
死者にとっての心残りとか、家族に対しての注意なども話されます。
日本三大霊山の1つである青森の「恐山」にお参りすることもあります。
また、この日にお寺の境内や家で法名と名前を書いた晒を108個の数珠に付けて、参加した人全員でお経を唱えながら回すところもあるようです。 これはその後7回忌、21回忌、33回忌の節目にも行われるようです。
このように見てくると、お寺との関係が非常に濃厚だということが分かります。
お寺は特に信仰が有る無しにかかわらず、葬祭を引き受けてきたことからも、ご先祖さまのいらっしゃる家には必ず仏壇があり、祖霊信仰が根強く残っています。
仏様のいる家では、仏壇はもとより神棚も奉られています。
漁業の町である気仙沼では、神棚に七福神、特にえびすさまを奉っているところが多く見られます。
また、神止り(かどまり)七福神舞があり、遠洋に出かけている夫や子どもの安全と無事を願って婦人たちが踊ります。
現世利益的な神仏ではありますが、神も仏も、生も死も、自然の摂理として受け入れ、御先祖さまは身近にあってこの世とあの世を行き来するということだとおもいます。
2011 年の東日本大震災の時には死体を火葬しきれないので、一旦土葬にしてから徐々に火葬にして行ったそうです。
こういう不慮の災害は、生きている方の死者への思いがなかなか裁ち切れなく、自然の摂理とは言いがたい出来事だったと思います。
現在では全てが簡素化して、葬儀屋さんにお任せになっているようです。