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品川あたりの話(M さん)

戦前より武蔵小山あたりは桑畑が広がっており、人口も今ほどではなく静かな街であったこの地で、 幼少の頃よりお母様に様々な話しを聞いて育ってこられました。その中から葬儀に関わるお話も伺 いました。

 

ある地主さんのお宅で葬儀が行われた時の話です。

御親族、親戚、使用人の方々総勢数十人は、白装束に白く長い三角帽を被り、斎場に向かいます。
斎場では今のような釜ではなく薪の上に棺を置き、また上に薪を乗せて火をつけ焼いていたとのこと。

ほぼ一日かけて焼き、それが終わると葬儀の列はお骨を持って家に戻ってきます。
 
昔、お香典というのは、人が亡くなったら収入が絶たれてしまうので、当面の生活のためも思ってしたとのこと。

勿論、払うことの出来ない方も多かったそうで、そのような方々は焼香のみで良く、 家族も焼香に来てくれたことを喜んだそうです。

隣組が精進料理を作り、町内の人はそれを頂く。冠婚葬祭の時にしか御馳走が食べられなかった時代、貴重な場であったことでしょう。
 
お父様が熊本出身とのことで、熊本のある地域では、亡くなると桶に遺体を納め、自宅の庭先などに土葬していたそうです。

土葬の際には着衣は木綿であること。これはバクテリアで分解され残らないためで、絹や麻は使っ てはいけないそうです。

死生観について品川あたりのお話を伺ってきました
死生観 品川あたりのお話