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厚木での葬式の様子(I さん)

1958 年、母が8歳の頃、祖父(76 歳)が自宅にて老衰のため亡くなった。
死去すると、自宅に北枕を用意しお腹に鋏を置いた。

当日より隣組と呼ばれる近所の方々が家の片付けや炊事等、お手伝いに来てもらいます。
また、隣組のかたは遠方の親戚などにも「さたにあるく」といい二人組で知らせに行く役割がありました。
葬儀から3~4日の間は、この隣組と呼ばれる近所の方々が、家の事を担ってくださいます。
家族、親族は葬儀の支度をする。庭や道路には大きな花輪が飾られ、花輪の数は、その家の付き合いの広さを表すものとなります。
 
当時、土葬での埋葬であったため「ヤマ」と呼ばれる穴堀の二人も隣組から選ばれます。独身者はこの役にはつくことができません。
ヤマは特別で、役を終えた後は、その家でお風呂に入り食事や衣服を用意し振る舞われました。
 
葬式の様子はあまり覚えておりませんが、棺が玄関を出た後、庭で棺を担いだ男性たちが何周か周り墓地まで歩いて運びます。

棺を埋葬し、皆で土をかけます。 自宅に戻り、隣組の長がお祓い清めをし忌中振舞いをします。
49 日までは、7 日ごとにお墓参りに行きます。
親戚の家には、「デーケー」と呼ばれる黒い漆塗りの箱にお赤飯を用意し届けます。
これは、 現在でも「蒸物料」として残っているようです。お葬式にお赤飯を配るので、他県から嫁いで来た方ははじめは驚いたようです。 
 
現在も、一般的な葬儀の場合は隣組の方々が葬儀場等お手伝いをしてくれるが、家族葬等も多いので昔のような関わりは少なくなってきています。 

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