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アボリジニの死生観

“オーストラリアのエアーズロックが 2019 年 10 月 26 日より登山禁止になった”というニュー スを見たとき、おもわず「あー、やっと!」という想いがこみあげてきました。
 
2002 年にピースボートで世界一周をした時に赤道近辺の国を廻り、少数民族の存続に関わるテ ーマで旅をしたことが印象に残っています。

オーストラリアの原住民であるアボリジニの人たち(以降アボリジナル)も、その存続が危ぶまれていました。

4、5 万年前からオーストラリアに住んでいたとされるアボリジナルは 1788 年のイギリスによ る入植開始以来 200 年もの間迫害を受けてきました。今では人権問題や土地の権利など、部分 的にではありますが回復の傾向にあるようです。
 
エアーズロックへはオプショナルツアーでシドニーから飛行機で。

向かう途中、飛行機から見るオーストラリアの大地は見渡す限り赤茶けた岩と土で覆われていました。

エアーズロック・リゾートのキャンピングハウスに泊まり、ユーカリの木の香りが立ちこめ、 まだ南十字星が見える早朝にエアーズロックの朝焼けを見に行きました。 岩がみるみる赤く染まっていく様子は実に圧巻でした。
 
その後カルチャーセンターでこの場所の説明があり、とても痩せていて、足は裸足、着衣はぼろ布をまとったような出で立ちながら、長い立派な杖をもって威厳のあるアボリジナルのおばあさんに案内をしてもらいました。

文字を持たないアボリジナルは岩の窪地に絵を書いて儀式や教育などが行なわれていたそうで、「とても神聖な場所なのに、登山する人が後を絶たない」と嘆いていました。

また、「この地球に我々の民族が居たということを国に帰って伝えてくれ」と―。

アボリジナルのおばあさんにいわれたこれらのことは、17 年経った今でも頭の片隅に残ってい ます。今更ながら、アボリジナルの死生観について調べてみました。 

 

アボリジナルの死生観 
ドリームタイムという独自の世界観、宗教観があり、天地創造の時代のことで、大地が生まれ、宇宙が創造され、動植物が独自の形になった遥か昔の、全能の神や精霊たちが活躍する時代をいう。

神話上の祖先や動植物を仲立ちにして生命が循環するという思想を持つ。

大地から表れた祖先の霊が、空や水、動物などの自然をつくっており、これが、土地と人間の密接なつながりを信じるアボリジニの考えの基盤となっている。

彼らの祖先の霊が自然の中で形を変えて、生き続けていると信じられている。これをドリーミ ングといい、昔も今も未来も続くと考える。

参照:「THE JAPANESE SCOOL OF MELBOURNE アボリジニ伝説」 
 
葬儀
地域およびクラン(親族集団)によってバリエーションがあるが、その一つヨルングの人々に ついての葬儀を取り上げる。

ヨルングの葬儀は非常に長い時間をかけておこなわれる。分散して狩猟採集生活をおくっていたが、季節的な、かなり長期間定住する村と呼べる単位をつくっており、そんな村で死者が出ると、まず人々は神話のサイクルを歌い、死者を安置する 高床の小屋をつくる。

そこに遺体を安置し、一晩歌を歌うと遺体をそのままにして、村人は村を離れた。

そして、数ヶ月後、遺族は村に戻り、死者の骨を回収し、樹皮に包み、それを持って再び村を離れる。

死者が出た村は数年の間放置されたり、他の親族が使ったり、また、何年後かに元の家族が戻ってくる場合もあった。
 
遺族は骨の包みを落ち歩き続ける。骨を持ち歩くのは、死者の妻か母親で、彼女らは髪を剃り、身体に白オーカーを塗り、食物禁忌をともなう喪に服した。

こうしているあいだ、葬儀についての話し合いがおこなわれた。

この話し合いは、死者の死因、 葬儀の執り行い方を中心に、細かなことに就いても議論をしてきめられた。

それは数年を要することもあった。こうしてすべてが決まってから、葬儀が執り行われた。

葬儀には人々が集まり、何日にもわたって歌を歌い、踊った。骨をホロロッグと呼ばれる内部をくり抜いた丸太の棺に収め、これを葬儀が行われた村のはずれに立て、葬儀は終了した。
 
ヨルングの人々は、死を契機として、葬儀という機会をとらまえて、自己のクランとの関係を確認し強める機会としているように思われる。彼らにとって死とは、クランと自己との関係を 完結させるために必須のものと考えているようです。
参考:窪田幸子著 論文「キリスト教とアボリジニの葬送儀礼」

アボリジニの死生観について調べました
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