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東日本大震災体験談(村上サポート 村上充さん)

東日本大震災で我家は被災しました。
私の住む気仙沼市では1,000人以上の人が犠牲となり、今なお、115人の方が行方不明となっています。
私とご縁のある知人、友人、そして親戚と...大切な人が多く犠牲となりました。
 
あの日、私と母親は高台に避難し、約2ヶ月半、避難所で暮らしました。
その間、避難所で一緒になった方々のことや、家のことを思うだけで精一杯でした。
そして混乱と、情報も少なく、友人や知人が犠牲になったということを知ったのは、だいぶ後になってからでした。
 
友人の2人は仕事中に津波に呑まれ、1人は造船場で...1人は水産加工場でフォークリフトごと津波に流され行方不明になり、その後、悲しい姿で発見されました。2人とも人生、まだこれからでした..。
東日本大震災では、犠牲になった人があまりにも多く、ご縁ある人との別れが、被災地ではほとんどの人にありました。
それだけ悲しい出来事でした。
知人は津波でご主人を亡くし、しばらくの間、そのことを受け入れられず、どうして今日も居ないんだろうと、口にすることもありました。
そして時間が経っても、「私は今も主人と一緒に居ると思っています」と、生前、ご主人が大好きだった地方の日本酒をいつも取り寄せ、仏壇に供えていました。
そして間もなく8年になる今もそれをされています。
もちろんその後、ご主人の死を受け入れたわけですが、奥様の中では、今もご主人は一緒にいて対話をされているのです。
突然、命を奪われたご主人への想い。
空の上にいて、想いはあっても、家族のことを気にかけることしかできなくなっているご主人へ。 
私は無宗教に近いですが、たぶん人の命は、どっかで繋がっている。それを震災後、より思うようになりました。


また霊現象だと思われることも、震災前よりも経験しました。
そういうことは怖いことと考えがちですが、 何かを伝えなくとも伝えられない、犠牲になられた方の空からの想い、..対話をする能力は自分にはありませんが、もし自分もそうだったら、地上に対話を望むんじゃないかなと。
 
震災前、一度もボランティアをしたことがない自分が、今もボランティアを続けていることに、自分でも不思議ですが、地上と空、その両方の声が、自分には届いているのかしれないと思うときがあります。
自然に足を運んでいるつもりが、実は必然的だったのではないかと思うことや、何かの導きではないのかと思うこともあります。 
 
震災の1年前に父が亡くなったのですが、震災で一緒に避難した母も、震災から3年して亡くなりました。
この間、孝行の1つも出来なかったこと。それが申し訳なく思っています。

 
このような大震災は予想は出来ず、いつ何が起きるか分からない、それだけに、普段の暮らしでのこと、それがいかに大切かということを思い知らされました。
そして決して他人事では無いということも。
震災で生き残った自分に出来ること、考えなければいけないこと、それは地と空が繋がっているという思いで、やっていかなければならないということ。
空の上にいて、想いはあつても、残したご家族に何も出来なくて、気に掛けることしか出来なくなっている方の思いも一緒に、被災地でのボランティア活動では活かさなければないし、続けていかなければならないと。
そして「生」と「死」は遠いものではなく、たまたま地にいるか、そうでは無いということだけで、お互いは遠くないということ。

それを、より思うようになりました。3.11を経験してから。
地上で動けるのは、地上にいる人、もちろん出来ることは限られますが、震災直前まで共に暮らしていて犠牲になられた方々の想いを想像し、生かされた者の務めとして、日々、動いていかなかればと思います。

村上サポートの村上充さんにお話を伺ってきました
死生観 東日本大震災体験談